光電子分光は電子によって物質の性質を見る実験手段です。だから、光電子分光について説明するためには、    電気を流す、磁石にくっつく、透明になるといった物質の持つ性質(物性)のほとんどは、電子のエネルギー状態「エネルギーバンド」によって決まります。固体から電子を抜き出してエネルギーバンドを精度良く調べることで、物性の発現メカニズムを明らかにすることができます。今から100年以上前、アインシュタインは光量子仮説を提案し、物質に光を入れる電子が放出される「外部光電効果」を理論的に説明しました。私たちは、この外部光電効果を利用した「角度分解光電子分光(ARPES)」と呼ばれるエネルギーバンドを直接観測できる唯一の実験手法を用いて、トポロジカル絶縁体、原子層物質、高温超伝導体などの量子物質における電子構造と物性メカニズム解明の研究を行っています。これらの研究を進めるために、
  1) 固体と電子
  2) 光電効果
  3) 光電子分光の仕組み
  4) 照射する光線
  5) 超高真空技術
  6) 地磁気対策
  7) アナライザーと測定装置
  8) 角度分解光電子分光
について知る必要があります。以下にそれぞれについて説明します。

   光電子分光は電子によって物質の性質を見る実験手段です。だから、光電子分光について説明する前に物質、特に固体と電子の関係についての説明をしようと思います。
   「電子」と言う言葉はみなさんご存じだと思います。中学校、もしくは、高校で下の図のような図を何回も見たことがあることでしょう。
   プラスの電荷を持った原子核の周りを飛び回っているのが電子です。が、この描像は正確ではないのです。厳密に言うと(量子力学的には)電子というのはもっと複雑な振る舞いをしています。
   原子と原子がくっついて固体となると、電子の振る舞いはよりいっそうものすごく複雑になります。そう、まるで空に浮かぶ雲のように予想のつかない振る舞いをするのです。
   しかし、この雲のような電子こそ、物質の性質を決定している張本人なのです。銅が電気を通すのも、ガラスが透明なのも、磁石に鉄がくっつくのもすべて電子が関わっているためなのです。
   このことは、最前線の物理学の世界でも同じです。ある物質の電子の性質を詳しく調べると言うことは、とりもなおさずその物質の性質を知ると言うことに他ならないのです。
   電子を見る方法はたくさんありますが、我々は「光電子分光」という手法を用いています。実はこの光電子分光は、直接的に物質の中の電子状態を見ることの出来る非常に素晴らしい実験手法なのです。


   光電子分光は、物質に光を当てて飛び出してきた電子を見ます。みなさんは、「なんで光を当てると電子が飛び出すのかなあ」と、思うかもしれません。しかし、これこそ光電子分光の基礎となっている現象なのです。この現象は「光電効果」と言われます。
   物質にあるエネルギーの光を当てると、その光のエネルギーで電子が飛び出してくるのです。しかし、そう簡単には飛び出してきません。電子は、物質の中に閉じこめられているのです。
   物質の中にある電子は、いろいろな大きさのエネルギーで閉じこめられています。だから、電子に対して、光によって一定のエネルギーを与えると、閉じこめられているエネルギーに応じたエネルギーをもって飛び出してきます。
   この「閉じこめられているエネルギー」のことを「束縛エネルギー」と言い、物性に非常に関係があります。すなわち、飛び出してきた電子のエネルギーを見ることによって束縛エネルギーを知ることが光電子分光なのです。わかってもらえましたか?


   電子のエネルギーを正確に知るために、私たちは非常に高価な装置を使っています。ここでは 「超高分解能角度分解光電子分光装置」と言うとても難しい(?)名前の装置を例にとって、光電効果によって飛び出してきた電子をいかにして見るか、と言うことを説明します。
   先ず、光電子分光を実際にやろうと思うといくつかの問題があります。単に光を当てるだけではだめなのです。
   問題その1   普通の光じゃあ電子は出ない。
   問題その2   電子の進路をじゃまする物があるとまずい。
   問題その3   電子の軌道を曲げられると困る。
   問題その4   電子をどうやったら見ることが出来るか。
   私たちは、これらの問題を解決するために様々な工夫をしています。その工夫をこれから紹介します。
   「『問題点』はいいから、どうやって電子を見るのかを早く知りたい!」というせっかちな人は、こちらから近道をしても結構です。

   まず、問題その1について。
   物質に光を当てて電子を出すと言いましたが、普通の光(可視光線)を当てればいいと言うわけではないのです。
   なんで可視光線では電子が出ないか。それはエネルギーが足りないからなんです。可視光線では物質内の電子を物質の外に飛び出させるだけのエネルギーを持っていないのです。
   光のエネルギーというのは、光の波長に反比例します。ですから、光電子分光の実験ではもっと波長の短い光を使います。
   波長の短い光というのはどういう光だと思いますか。あまりピンとこないでしょう。答えは「紫外線」「X線」と呼ばれる光です。
   紫外線は日焼けの原因となる光でおなじみでしょう。コマーシャルなどでは「UVカット」と言う言葉が頻繁に使われます。この「UV」が紫外線という意味なのです。(Ultra Violetの略)
   また、X線はレントゲン写真の光源などでおなじみですね。体の中をも透過してしまうのですから非常に大きなエネルギーを持っていると言うことが何となくわかります。
   この「超高分解能角度分解光電子分光装置」では紫外線を用いて物質から電子を飛び出させています。もちろん、紫外線は目に見えません。
   そして、ここで用いられている紫外線は非常に強力なものです。どのくらい大きいものかと言われるとちょっと返答に困るのですが、少なくとも、太陽から地面に照射される紫外線の100倍とか10000倍とかではなく、もっともっと強いものなのです。我々はそういう光を物質に当てて実験をしているのです。
   この装置ではX線は使っていません。しかし、光電子分光装置の中にはX線を使っているものもあります。X線は紫外線よりもはるかに大きなエネルギーを持っているので、紫外線による光電子分光とは違った物性も知ることが出来ます

   次に、問題その2に話を進めましょう。このように非常に強い光を物質に照射し、電子が飛び出してきたとしても、その電子をきちんと見ることが出来なければまったく意味がなくなってしまいます
   電子はとても軽いものです。だから、何かにぶつかると簡単に進路がずれてしまうのです。もし、電子が衝突事故を起こしたのなら、物質の正確な性質をつかむことが出来ません。
   それでは、電子はいったい何にぶつかるのでしょうか。みなさんは信じられないかもしれませんが、一番じゃまなのは空気なのです。窒素や酸素などの気体分子にぶつかってしまうのです。
   そのため、我々は実線装置の中の空気を出来る限り追い出します。つまり、実験装置の中を「真空」にするわけです。そうすることによって、飛び出した電子が気体分子にぶつからずに進むことが出来るようになるのです。
   みなさんは「真空」と言う言葉を聞くと「何もない世界」というイメージが頭に浮かぶのではないですか。確かに真空という言葉にはそういう意味もあるのですが、ここではそう言う意味ではない
   いくらがんばって気体の分子を追い出そうとしても、現実的には完全に追い出すことは出来ません。どうしても少しは残ってしまうのです。だから我々は真空の度合いを圧力<で表しています。
   我々は主にTorr(トール)と言う単位を使っています。TorrはmmHg(ミリ水銀)と同じ単位です。
   光電子分光装置の中は、6×10-11Torrという真空度になっています。こんな数字が並んでもまったくわからないでしょう。比較対象として大気は760Torrです。だから、光電子分光装置の中はざっと大気の
   「100000000000000分の1」の圧力と言うことになります。このくらいの真空のことを「超高真空」と呼びます。これは地球と太陽の間の真空度と同じくらいの圧力です。
   こういうと、この真空のすごさというものがわかるでしょう。極端な言い方をすれば、「光電子分光装置の中には、もう一つの宇宙がある」と、言えるかもしれません。

   さて、そろそろ読むのがめんどくさくなってきたのではないでしょうか。初めのうちは挿し絵なんかが入っていてまだ読みやすかったのに、だんだんそれすらなくなって、文字ばっかりに成ってしまいました。もう少しの辛抱です。がんばって読み進めて下さい。問題その3の解決編です。
   さっき、電子というのは非常に他からの影響を受けやすいと言いましたね。覚えていますか。電子はその名の通り電荷を持っていますので、磁場(磁界)からも影響を受けてしまうのです。
   地球にはどこでも磁場があります。一般に「地磁気」と言われている磁場です。地球は大きな磁石であり、その地磁気があるが故に方位磁石はきちんと北を指すのです。
   地磁気というのは非常に弱いものですから、我々の日常生活に影響を与えることは少ないです。しかし、電子にとって見るととても大きな存在なのです。
   もし、地磁気があったとしたら、電子が5センチ進むとき約5ミリずれてしまうのです。この計算で行くと1メートル進むときには10センチもずれてしまうことになります。これでは実験になりません。
   そこで我々は、特殊な金属で実験装置を覆っています。外側からは見えませんが、光電子分光装置の中には地磁気の影響を最小限にするべく特殊な金属が入っているのです。
   このように、とても細かいことにまで気を配らなくては電子を見ることは出来ないのです。そして、こういった工夫でやっと電子が物質から出てきました。次はいよいよ「電子の見方」をお話しします

   いよいよ電子を見ることになります。物質から飛び出した電子は、超高真空の中を通ってエネルギー分析器の中に入ります。この装置で言うと、てっぺんに着いている大きな半球型の物体がエネルギー分析器です。
   エネルギー分析器に入った電子は各エネルギーごとに分けられます。どのようにして分けられるのでしょうか。それは下の図を見ながら説明しましょう。
   半球型の物体の中には電極が入っています。この電極の電圧を調整すると、あるエネルギーを持った電子は壁にぶつかることなく通過することが出来ますが、それ以外のエネルギーを持った電子は壁にぶつかってしまい、通り抜けることは出来ません。
   電極の電圧を変えることによって、様々なエネルギーの電子を通過させることが出来るのです
   エネルギー分析器を通り抜けてきた電子は、ゴールの蛍光板にぶつかります。この蛍光板は電子がぶちあたると光る物質で出来ています。1つ電子が当たると「「ぴかっ」。もう1つ当たるとまた「ぴかっ」。
   そして、この蛍光板をCCDカメラ<で写します。すると、モニターに電子が当たってぴかぴか光っている画像が写りますね。この画像をコンピュータに入れ「何個光があるか」を数えます。その数が、エネルギー分析器を通過した電子の数と言うことになるのです。
   電極の電圧を変えることによって様々なエネルギーの電子のみを通すようにすることが出来ます。すると、この物質の中の電子のエネルギーについての情報を得ることが出来るのです。
   この情報を光ファイバーケーブルを通し、測定用のコンピュータに送ります。測定用のコンピュータはこの情報をたちまちのうちにグラフにしてくれます。我々はこのグラフを見ることによって、物質の中の状態を知るのです。

   このようにして得られたグラフのことを光電子スペクトルと言います。下に、得られた光電子スペクトルの例として、のスペクトルを示しておきます。一般的には非常に高価な金属である金も、物理の目で見れば、金属のうちの1つにすぎません。
   これが、何を表しているかと言うことは下の図に書いてあります。このような光電子スペクトルの積み重ねこそが様々な物性解明の鍵の1つになっているのです。

金の価電子帯の光電子スペクトル

いくつかのピークが見えます。このグラフはこのピークのところに電子がたくさんあることを表しています

金の温度変化の光電子スペクトル

フェルミエネルギー近くではこんなにきれいに温度変化を示します



   光電子の放出角度を決めて測定すると、運動量についての情報も得ることができます。左下の図は、 角度分解光電子分光(angle-resolved photoemisison spectroscopy :ARPES)の原理を示したものです。 結晶中で光によって励起された電子は、真空に飛び出す前に結晶の表面を通過しますが、その際「運動量の表面に 平行な成分は結晶内外で保存される」という性質があります。この為光電子は、結晶中での運動量についての 情報を持ったまま真空中に出て来るのです。また、光の運動量は電子に比べて小さいので、基本的には光電子の 運動量を元々電子が持っていた運動量と対応付けて良いと考えられます。表面に平行な運動量成分は、放出角度を 測定することで決定できます。よって、detectorの角度を連続的に変えて光電子測定を行えば、電子のエネルギーと 運動量(波数)の関係(バンド分散)を 実験的に決定することができます。

角度分解光電子分光の説明図

CeSbの高分解能角度分解光電子スペクトル



   これが「光電子分光」と言う実験手段です。後半は難しい話になってしまいましたが、最後までついてきてくれましたでしょうか。「物理は難しい」とよく言われますが、これは私たちも毎日のように実感していることでもあります。しかし、それだけにやりがいがありますし、新発見をしたときの喜びはとても大きいです。今日を機会にみなさんが物理の世界への関心を深めていただければ幸いです。最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
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